現在、中小企業やベンチャー企業の場合には、優秀な人材の採用や従業員にいかにして成果を上げて貰うかという課題を抱えています。特に地方の農家や小さな製造メーカーでは深刻な人手不足の会社が多いです。
それらの打開策としては、働き手のモチベーションが高まる独自の「人材評価制度」や「表彰制度」を作り上げることです。
その理由としては、あらゆる営業や製造の現場で働く人材を確保し、より一層頑張って仕事に励んで貰うためには、人の心に火を付ける「ユニークな人材評価制度」のアイデアを考案して導入すると大きな成果を上げることに結び付くからです。
今回は、「渋沢栄一」が生み出した「相撲の番付表」のような「藍農家の評価制度」の仕組みを解決します。
また、私自身が食品メーカーの営業マン時代に経験したセールス活動の現場での実体験に基づく「大相撲コンテスト」などの経験談を交えてシェアします。
「毎日人よりも早く起き、良い工夫をなし、智恵と勉強とをもって他人に打ち克つというは、これすなわち善競争である。」「他人が事を企てて世間の評判が善いから、これを真似て掠(かす)めてやろうとの考えで、側(はた)の方からこれを侵すというのであったら、それは悪競争である。」
<渋沢栄一>『論語と算盤』『青淵百話』『雨夜譚 自伝渋沢栄一』
■渋沢栄一が22歳で生み出した地域ブランドの誕生秘話
大河ドラマでお馴染みの「渋沢栄一」の実家は、今の埼玉県深谷市で「藍の栽培」の農家であり、当時「豪農」と言われる程に大きな規模でした。
渋沢栄一の生家では、藍染に使用する藍玉の製造と販売を行っていましたが、その原料となる藍の葉は、自分たちで栽培する他に、各地の藍農家から買い付けていました。
更に単に藍を栽培する農家として従事していただけでなく、藍の加工を自分たちで行い「藍玉」まで製造して販売する先進的な農家でした。
「渋沢栄一」が幼い頃は、埼玉エリアを中心に「商い」をしていましたが、藍玉販売の得意先が長野県や群馬県にもあったこともあり、「紺屋」(白い着物を深い藍色に染め上げる染物屋)がある他県にまで、年に何度も営業活動や納品をするために足を運び事業規模を拡大していました。
その中で他県の強力なライバルの存在を知り、その相手が独自の「ブランド」を持ち、自分たちよりも高額な金額で「藍玉」の売り買いをしていることを知ったのです。
そこで、「渋沢栄一」は、他県の地域にある藍玉農家や藍玉製造メーカーに負けない立派な「藍玉」=「染料」を自分の実家がある埼玉県の深谷でも何とか作り、地元の名前を付けた藍玉の「地域ブランド」を作り上げたいという強い想いを持つようになったそうです。
■渋沢栄一が生み出した人事成果制度とは?
渋沢栄一は、地域ブランドを作り上げるためには、まず手始めに「藍玉」の原料となる藍自体の「品質を上げる」必要があると考えました。その目標を実現するために、日本の国技として多くの人に非常に人気があった「相撲」の「番付表」に大きなヒントを得ました。
「武州のブランド」作り上げその価値を高めることを目的に藍玉農家をランキングするような独自の「番付表」を生み出しました。そのうたい文句は、「藍玉製造農家を格付けする!」という「事業ポリシー」を全うするための「スローガン」に近いものでした。
そこでは、「武州自慢鑑藍玉力競」というオリジナルで革新的な「藍玉農家の番付表」を実際に作り、それをベースに地元や近隣の藍玉農家に告知しプロジェクトへの参画を促しました。
更に面白い取り組みとして、その「藍玉農家ランキング」の結果を協力ベンダーとなる藍玉農家に毎年公表するだけでなく、農家の表彰イベントを開催しました。
これにより、深谷市近郊の「藍玉製造農家」たちにもブランド作りに協力するという参加意欲を高め、藍玉農家たちの競争心を上手に盛り上げることに成功したのです。
■表彰イベントの開催とノウハウ共有の効果
上位にランクインした農家には、東京オリンピックの金メダリストへのインタビューのような仕掛けを作りました。
成功した農家の取り組みや上質な藍の栽培ノウハウを皆の前で話して貰い、これを農家同士でも隠すことなく、「共有」を促すことで藍玉の農家に対して「作物の品質」向上に励む「モチべーション」を劇的に高めました。
「渋沢栄一」が作ったこの「藍玉農家の番付表」は、渋沢栄一記念館に拡大して表示されています。「藍田は家を興す」と言われた実家の藍農家での経験は、後世に渡って「日本資本主義の父」と呼ばれるように評され、経済人として名を馳せた渋沢栄一のルーツと言っても良いと思います。
深谷市のインターネットで公開されている資料によると、実際にその「藍玉農家番付表」は絶大な効果をもたらし、当時の藍農家に大きなインパクトを与えました。
藍玉農家たちは、この番付表において高い地位にランク付けされるという熱い目標を抱かせ、「栄誉ある地位」を獲得すべく楽しみながら頑張ったそうです。
この「武州自慢鑑藍玉力競」には、「行司(この番付における判定役)」に渋沢栄一の名前があり、文久2(1862)年と記されています。ちなみに、農家同士が実際に相撲を取るではありませんでしたが、深谷市の公式的な資料によると渋沢栄一は、藍玉農家を集めた表彰と交流会のイベントで「相撲の行司役」のような役割を務めていた事も判明しています。
■相撲の番付表と大相撲コンテストに参加した体験談
今回、偶然のストーリで作り話ではありませんが、私自身がサラリーマン当時に「相撲の番付表」と「大相撲コンテスト」に参加した体験談を共有します。
大学を卒業後、新卒で入社しインターネット領域の起業家として独立するまで3年半勤務した日本食研での体験談をお話します。日本食研は、食品メーカーになりますが、営業マンのモチベーションと成果を上げる仕組みとして、この「相撲の番付表」が導入されていたのです。
恐らく日本中の会社を探したとしても「相撲の番付表」を営業活動のシーンで導入している企業は、見つからないと思われます。日本食研の概要は以下になります。
セールスの現場で「相撲の番付表」の取り入れ、きちっと機能するように作り上げたことが、持続的な売上アップの極めて重要なフックとなり、未上場でありながらも業績的には常に右肩上がりで成長を遂げている優良会社になります。
【会社概要】
資本金:40億9,800万円
売上高:1,186億3,800万円(2019年9月期)
営業利益:71億1,800万円(2019年9月期)
経常利益:56億7,600万円(2019年9月期)
従業員数:4,787名(男3,640名、女1,147名)
【事業内容】
同社は、業務用の調味料の製造販売がメイン事業になります。「業務用のタレ」の製造では、国内シェア40%でトップの売上を誇ります。日本全国のスーパーマーケットとは、ほぼ100%に近い取引があり、総菜売り場のメニューで相当数が使われています。
また、大手コンビ二の焼肉弁当などを製造するベンダーとも関係性が深く、多くの総菜の食品製造の加工プロセスでは沢山の企業の味を支えています。
特に焼肉のタレに強く、驚くことに焼肉のタレだけで500アイテムを超える商品群があり、から揚げ粉などの粉体調味料のシェアでも他の企業を寄せ付けない圧倒的な強さを誇っています。
また、多くの飲食チェーン等でも同社の様々な調味料が使われており、焼肉店のみならず、牛丼、カツ丼、居酒屋チェーンなど、飲食店の味を演出しています。
同社の特徴としては、年間約7,800種類の新商品の企画と開発に強みを持ち、愛媛と千葉にある巨大な宮殿のような自社工場で生産をしています。業務用の品物的には実に、21,000種類を超えた多新種少量生産ができる体制になっています。
その他、消費者向けの小売商品も製造しており、テレビCMでもお馴染みの『晩餐館の焼肉のタレ』として宣伝しています。通常、小売商品というとグロッサリー扱いで他のライバルと一緒に棚に陳列しますが、この方式は意図的に取っていません。
食肉・鮮魚・青果のバックヤードと売り場の中に入り込み、商品を生鮮食品の隣に置き、レシピを提案しながら食材とセットでクロスセリングを展開し消費者に購入して貰うスタイルを徹底していました。
【番付表を駆使した営業体制】
通常、大手食品メーカーの場合は、商社や問屋を介在して販売するのが一般的ですが、同社では、北海道から沖縄まで日本全国47都道府県に支店や営業所を作り、驚異的なことに「直販体制」で販売しています。
日本全国に1000人を超えるメーカー直轄の凄まじく強力な営業部隊を保有しています。そして、コンサルティング型の提案営業スタイルを推進し、個々に売らせる「原動力」になっているのが、営業マンのモチべーションを上げる最大の武器がこの「相撲の番付表」だったのです。
「相撲の番付表」には、東の横綱と西の横綱が君臨し、大関、関脇、小結、前頭、十両、幕下、三段目、序二段、序ノ口など相撲界と同様に全ての番付がありました。
この営業成績が毎月のように「番付表」として発表され、日本全国の営業マンたちは、「今月は全国では何位で自分がどの番付なのか?」を日々目にします。
また、ポイントとして売上だけでなく代金の回収率もランキングされていましたので、販売したクライアントからの代金の回収も大事な仕事になっていました。
同社の営業マンは、「前年対比」をベースに毎年、去年の自分自身が叩き出した売上を超えるミッションが設定されていました。そのため、前年度の売上を月単位で超えていないと、達成率が100%以下になってしまうので、売上が上がっていても昨年の自分の数字より頑張って働いていない様な感覚になります。
それゆえ、前年対比130%くらいが社内では当たり前だと見なされるので、個々が既存クライアントの売上アップと並行して新規開拓に積極的に取り組むのです。
新規開拓という前向きな行動を起こさない限り、売上の数字がどうしても落ちて来る形になります。ですので、ほぼ毎日新規開拓をして記憶があり、独立するために会社を退社する前の日も以前から種を蒔いていた新規顧客を獲得し皆に絶賛された思い出もあります。
また、営業日報で「営業のヨミ」という項目に何を提案しに行くのかを企業毎に目的として書いていました。また、栃木の宇都宮営業所で働いていた時は、当時の営業所の所長が、自衛隊に入隊するか日本食研に入社するかを迷った人物でした。
ですので、事務所や車の掃除や挨拶、倉庫の整理整頓など、規律を重んじ営業のマネジメントがとにかく強烈でした。
毎朝、30件の電話は当たり前の日課になっており、営業メンバーによる会議や報告会も必ず毎日に行われ、その日に売れた成果をメンバーに話す必要性がありました。
そのため、大きなプレッシャーが掛かりましたが、成功した営業パターンや提案ノウハウを職場の同僚や後輩にも共有する仕掛けが成長のエンジンとなっていました。ちなみに私の場合には、顧客との関係性を作り上げ、多くの成果を常に上げていたので、このシェアリングをすることが楽しかったです。
更に「番付表」に加えて、「大相撲コンテスト」という名の販売コンテストが定期的に開催されました。その中では、新商品販売などで大きな実績を作るとランキングが発表され、その成果に応じて基本給に加えてインセンティブや特別ボーナスが貰える形になっていました。
日本全国の営業マンは、常に「競争の仕組み」がある環境にいることで、セールス活動の現場でも1人1人が業績に対する意識付けが大いに刺激されるようになっていました。だからこそ、強制力もありましたが本気で売上アップを目指して一生懸命に売り歩く上でのモチベーションアップの構図が見事に出来ていたのです。
■アントレプレナー精神の重要性
実は日本食研が他の会社とは、明らかに異なる要素がもう1つあります。それは、全ての社員の机の上には「●●商店社長」という小さな立札が置いてある点になります。
全ての営業マンの机の上だけでなく、営業のアシスタント女性、商品企画開発する研究員、宣伝広告等を担うマーケティング部、工場で働く工場長や工場のワーカー、総務、人事、経営管理人材を含めて全ての人に「1人1人が社長」という「起業家マインド」を植え付けているということです。
「起業家精神」とは、アメリカなどの欧米諸国では「アントレプレナーシップ」という言葉で認知されている行動理念や価値観のことを指しています。
起業家精神は、ベンチャー企業を興す起業家やスタートアップ企業に参画するような創業メンバー、アクティブなビジネスパーソンには不可欠なもので、諸外国のビジネススクールではこの精神に基づいた教育が盛んに行われています。
「ハーバード・ビジネス・スクール」のハワード・スティーブンソン教授によれば、「アントレプレナーシップ」とは、「コントロールできる経営資源を超越して、機会を追求する姿勢」と定義しています。
日本食研もそうでしたが、私自身が創業した複数の会社、当社が支援している沢山のクライアント企業全てに言えることは、起業家マインドが根付いている組織は、雇用形態に関わらずチャレンジ精神が豊富にあるプロ人材が揃っています。
また、それぞれが、日々勉強しながら自らのポテンシャルを最大限に高めています。加えて、仲間と共に成功できるような切磋琢磨する文化があるので、それこそが企業の競争力を生み出す源泉になっています。
■まとめ
あらゆる企業にとって人事評価や人事制度などへの不満は、そこで働く人のモチベーションが上がらないダメな要因になります。
「一生懸命働いても、適正に評価されない」「自分より成果を上げていない人の方が、給与が高い」といった負の状況が続くと、従業員の不満は高まり、モチベーションが下がってしまいます。
そのような際に仕事に魅力を感じられないことがモチベーション低下の原因となっている場合には、挑戦できる環境を整備することでモチベーションアップが期待できます。正社員やフリーランスを問わず働く人のモチベーションは、仕事の生産性や成果に大きく影響すると考えられています。
また、モチベーションアップを意識し効果的な対策を考えている働き甲斐のある会社の場合には、社内の従業員だけでなく、社外の協力者も巻き込みむ仕組みを上手に作り上げています。
それゆえ、ステークホルダー全員が意欲的な姿勢で全力で仕事に取り組むため、会社全体の士気が上がり、生産性の向上が期待できます。
一方で社内の従業員や社外の協力ベンダー、業務委託のフリーランスのモチベーションが低い企業では、従業員が仕事をただの作業だと感じてしまうため、「ミスが多い」「アイデアが生まれない」など生産性の低下が課題になります。
業界や企業規模を問わず様々な企業や組織だけでなく、東京オリンピックでメダルラッシュに沸いた柔道などのスポーツ団体などにとって、メンバーや選手のモチベーションを高める工夫が非常に大事になります。
また、監督やコーチなどの指導者の選任や外部のプロフェッショナル人材の働く環境を整備することも成長には欠かせない重要なものになります。
その中にあっては、中小企業やベンチャー企業の場合には、大手企業並みの基本給を支払うことは難しいので、報酬以外の部分で人を惹きつける経営者のビジョンが欠かせません。
ですが、シリコンバレーで働く優秀な経営幹部やスーパーエンジニアなどは、ストックオプションを付与して貰い、株式公開を目標にして短期間で成果を上げることを目指すプロも確実にいます。
そのため、報酬体系の設定とインセンティブの改善に取り組むことは、ビジネスの飛躍的な発展にも直結し、得られる結果に大きく影響するため、決しておろそかにできない「究極の要素」になると言っても過言ではないでしょう。
■最後に
NHKの大河ドラマ「青天を衝け」にも登場する藍玉農家たちは、基本的に固定の給料を支払うサラリーマンではありません。彼らは良質な藍を栽培するそれぞれが独立した農家であり、大事なパートナーとなる「個人事業主」になります。
このような外部パートナーを含めた意識改革を図り、品質向上の施策に取り組み、生産高を成果として称えることは、非常に画期的な試みです。個々の農家の人たちが仕事に励む土台を作り、独自の人材評価制度を構築して浸透させることは、皆を元気にする本当に素晴らしいスキームだと言えます。
明治以降に武士の時代から、商人が大活躍する時代へと劇的に世の中が変わり、日本全体が大きく進化し発展を遂げる裏側には、「藍玉のチカラ」があった事実を知ることで、大きな打開策を描くヒントとなる経営者も多いはずです。
渋沢栄一は、日本の「産業界の礎」を構築したことで有名で誰もが知る「賢人」です。2024年度には、2004年以来、実に20年ぶりとなる「新1万円札」の顔になります。
経営面では、内外から自分が信頼する有能なプロ人材を見極めて巧みに配置していきました。自身のカラーを強く誇示せず、多方面に人的ネットワークを作って広げていったのも特徴です。
そして、それだけの人的ネットワークを作れたのも、渋沢栄一の持つ人間的な魅力です。尊王攘夷に考えが傾いた時期もありましが、最後の将軍である徳川慶喜にも功績を認められ海外視察の勅命を受けました。
そのことが大きな転機となり、日本人として最初に世界のビジネスの取り組み方法やスケールの大きさを知りました。
グローバルな視点でその違いを目の当たりにした渋沢栄一は、日本に新たな経済の夜明けと産業革命をもたらしたのです。
当時の日本には未だ存在すら無かった株式会社ができる前の「カンパニー制度」を見聞し、その後の日本を資本主義へと一気に押し上げ、明治時代へと変革させた立役者であり、日本の会社のあり方と歴史を変えた真のイノベーターだと思います。
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