映像プロデューサー/監督(⽇本映画監督協会会員)
[お名前非公開](登録日:19年02月03日)
■職歴
2011 年 6月~2016 年12月株式会社オスカープロモーション
日本最大のモデル事務所であるオスカーにて、映像製作事業本部の立ち上げに尽力する(正社員)。プロデューサー/監督として、多くのドラマを企画・監督・制作する一方、所属俳優の出演作企画チェックも担当。また日中合作映画の企画開発で中国の映画会社との交渉も担当し、アジアに人脈を広げる。
【主な作品】
2011 年 テレビ朝日土曜ワイド劇場「救命士・牧田さおり」8 監督
2011 年 TBS月曜ドラマスペシャル「家庭教師が解く!」企画・演出、シリーズ化
2013 年 日中合作映画開発、井関惺プロデューサーと共同で華誼兄弟映画社と交渉。
2013 年 テレビ東京ドラマ24「殺しの女王蜂」企画・プロデュース・監督
2015 年 テレビ朝日スペシャルドラマ「陰陽師」プロデューサー
2016 年 テレビ朝日スペシャルドラマ「ゴールドウーマン」プロデューサー
1999 年 10 月~2009 年 4 月 東北新社グループ
㈱東北新社とプロデューサー契約(正社員から嘱託契約に変更)。NHKドラマ「陰陽師」での企画力を認められ実写製作チームである東北新社クリエイツに出向。㈱東北新社クリエイツTV制作チーフ・プロデューサー/監督。
以降、企画開発から演出・プロデュースまで、作品のクリエイティブをトータルに管理する。
【主な作品】
1999 年 NHKドラマDモード「陰陽師」の企画立案・プロデュース補
2000 年 テレビ朝日土曜ワイド劇場「救命士・牧田さおり」のプロデュース、シリーズ化
2001 年 テレビ東京 女と愛とミステリー「羅生門殺人旅情」の脚本・監督、シリーズ化
2003 年 映画「ヒナゴン」(重松清原作)の企画 イメージフォーラムにて公開。
2003 年 テレビ朝日 土曜ワイド劇場「和菓子連続殺人事件」のプロデュース
2006 年 テレビ朝日 スペシャルドラマ「めぞん一刻」のプロデュース。シリーズ化
2006 年 テレビ朝日 土曜ミッドナイトドラマ「腐女子デカ」の監督
2009 年 NHK連続ドラマ「コンカツ・リカツ」のメイン監督
2009 年 松坂慶子著書「松坂慶子と始めるフラ入門」付録DVDの企画・監督
2010 年 テレビ朝日土曜ワイド劇場「救命士・牧田さおり」7の企画プロデュース
2010 年 NHK「ABUアジア子どもドラマシリーズ」スタジオ構成・演出
1987 年 5 月~1999 年 9 月 木下プロダクションほか
日本大学芸術学部映画学科卒業後、ジュブナイルドラマの製作者を目指して
ドラマ制作の老舗である木下プロダクションに入社(正社員)。バルタン星人の産みの親であり当事同社専務であった飯島敏宏監督に師事する。1993 年、演出部助監督から監督に昇格。1995 年に木下プロ退職後はフリー監督となり、アニメやゲームの仕事も手がける。
【主な作品】
1993 年 テレビ朝日ドラマ「いちご白書」(月曜8時枠)第9話にて監督デビュー
1995 年「憎しみに微笑んで」「クニさんちの魔女たち」など数本の連続ドラマを監督
1995 年 毎日放送・円谷プロ「ウルトラマン ティガ」第7、8、23、24話の監督
1995 年 松竹衛星劇場(CS)「秋元康 殺人ミステリー・メゾン ド ヌフ」の監督
1998 年 紀伊國屋書店ビデオ「新図書館の達人」の脚本・演出
1999 年 プレイステーション「美味しんぼゲーム(仮)」のストーリー/脚本
1998 年 アニメ「ソウル テイカー」(タツノコプロ・WOWOW)の企画協力
2011 年 6月~2016 年12月株式会社オスカープロモーション
日本最大のモデル事務所であるオスカーにて、映像製作事業本部の立ち上げに尽力する(正社員)。プロデューサー/監督として、多くのドラマを企画・監督・制作する一方、所属俳優の出演作企画チェックも担当。また日中合作映画の企画開発で中国の映画会社との交渉も担当し、アジアに人脈を広げる。
【主な作品】
2011 年 テレビ朝日土曜ワイド劇場「救命士・牧田さおり」8 監督
2011 年 TBS月曜ドラマスペシャル「家庭教師が解く!」企画・演出、シリーズ化
2013 年 日中合作映画開発、井関惺プロデューサーと共同で華誼兄弟映画社と交渉。
2013 年 テレビ東京ドラマ24「殺しの女王蜂」企画・プロデュース・監督
2015 年 テレビ朝日スペシャルドラマ「陰陽師」プロデューサー
2016 年 テレビ朝日スペシャルドラマ「ゴールドウーマン」プロデューサー
1999 年 10 月~2009 年 4 月 東北新社グループ
㈱東北新社とプロデューサー契約(正社員から嘱託契約に変更)。NHKドラマ「陰陽師」での企画力を認められ実写製作チームである東北新社クリエイツに出向。㈱東北新社クリエイツTV制作チーフ・プロデューサー/監督。
以降、企画開発から演出・プロデュースまで、作品のクリエイティブをトータルに管理する。
【主な作品】
1999 年 NHKドラマDモード「陰陽師」の企画立案・プロデュース補
2000 年 テレビ朝日土曜ワイド劇場「救命士・牧田さおり」のプロデュース、シリーズ化
2001 年 テレビ東京 女と愛とミステリー「羅生門殺人旅情」の脚本・監督、シリーズ化
2003 年 映画「ヒナゴン」(重松清原作)の企画 イメージフォーラムにて公開。
2003 年 テレビ朝日 土曜ワイド劇場「和菓子連続殺人事件」のプロデュース
2006 年 テレビ朝日 スペシャルドラマ「めぞん一刻」のプロデュース。シリーズ化
2006 年 テレビ朝日 土曜ミッドナイトドラマ「腐女子デカ」の監督
2009 年 NHK連続ドラマ「コンカツ・リカツ」のメイン監督
2009 年 松坂慶子著書「松坂慶子と始めるフラ入門」付録DVDの企画・監督
2010 年 テレビ朝日土曜ワイド劇場「救命士・牧田さおり」7の企画プロデュース
2010 年 NHK「ABUアジア子どもドラマシリーズ」スタジオ構成・演出
1987 年 5 月~1999 年 9 月 木下プロダクションほか
日本大学芸術学部映画学科卒業後、ジュブナイルドラマの製作者を目指して
ドラマ制作の老舗である木下プロダクションに入社(正社員)。バルタン星人の産みの親であり当事同社専務であった飯島敏宏監督に師事する。1993 年、演出部助監督から監督に昇格。1995 年に木下プロ退職後はフリー監督となり、アニメやゲームの仕事も手がける。
【主な作品】
1993 年 テレビ朝日ドラマ「いちご白書」(月曜8時枠)第9話にて監督デビュー
1995 年「憎しみに微笑んで」「クニさんちの魔女たち」など数本の連続ドラマを監督
1995 年 毎日放送・円谷プロ「ウルトラマン ティガ」第7、8、23、24話の監督
1995 年 松竹衛星劇場(CS)「秋元康 殺人ミステリー・メゾン ド ヌフ」の監督
1998 年 紀伊國屋書店ビデオ「新図書館の達人」の脚本・演出
1999 年 プレイステーション「美味しんぼゲーム(仮)」のストーリー/脚本
1998 年 アニメ「ソウル テイカー」(タツノコプロ・WOWOW)の企画協力
所有資格 | その他(所有資格) |
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最終学歴 | 日本大学 芸術学部(監督コース) |
職務経歴(1) | 企業名:株式会社オスカープロモーション 部署・役職:映像製作事業本部 プロデューサー/監督 業種:スポーツ・芸能 |
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職務経歴(2) | 企業名:東北新社グループ 部署・役職:東北新社クリエイツ TV制作チーフ・プロデューサー/監督 業種:スポーツ・芸能 |
職務経歴(3) | 企業名:木下プロダクション 部署・役職:演出部 監督 業種:スポーツ・芸能 |
就業形態 | 不問 |
---|---|
就業開始可能日 | 即日就業可 |
業種 | スポーツ・芸能(その他) |
得意領域 | マーケティング戦略の策定・展開の支援,広報・PR策定・展開の支援,ブランディング,市場調査・リサーチ,競合分析・市場分析,新商品・新サービスの企画・開発,メディア広告・屋外・看板,イベント企画・販促ツール・SP,コンテンツ・メディア開発 |
支援可能エリア (海外ビジネス) |
- |
支援可能項目 (海外ビジネス) |
- |
人脈情報 | ― |
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1964年東京オリンピックから日本のスポーツ国際化は、1980年代後半のバブル期と重なり想定外のグローバル化が急進、海外スポーツの波にメディアが奔走した激動期を経験しました。お陰で渡航経験は 15か国100を超えるキャリアとなりました。 この間の経験は筆舌硬いものがありますが、今はネットの波にTVメディア業界は押されていますが、TVの礎にこそコンテンツがあるのだと言うことを経験知を持って更なる進化の時代に役立...
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東京大学大学院薬学系研究科博士課程を修了後、協和発酵工業株式会社(協和発酵キリン株式会社)に入社、創薬研究、経営企画、広報等を担当、その後、ブリストル・マイヤーズ スクイブで社外広報を担当しました。この間、芝浦工業大学工学マネジメント研究科(MOT)も取得しています。 研究においては、医薬品副作用被害救済・研究振興調査機構、テルモ株式会社、協和発酵株式工業会社が出資して設立したベッセルリサーチラボラ...
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